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ケイ上西の経歴プロフィールは?生い立ちと朝日軍は映画化にも!

 

1900年初頭、貧困から抜け出すべく

多くの日本人が仕事を求めて海外へ渡航。

 

その渡航先のひとつとしてカナダも。

しかし、カナダでは人種差別が横行する時代。

 

多くの日本人労働者が低賃金での就労を

余儀なくされながら懸命に働き続けたという。


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その異国の地では小さいながらも

日本人のコミュニティが作られ、

日々、カナダの人々に溶け込もうと努力。

 

ですが、日本人特有の“勤勉さ”故に

逆に現地のカナダ人から“仕事を奪われる”

そんな理不尽な理由から増々差別の対象に。

 

差別や偏見に満ちたカナダでの生活でも

ある希望が芽生え始めたと言います。

 

それは、当時カナダでも人気のスポーツ

ベースボールに参入するというもの。

 

誕生したチーム名はバンクーバー朝日軍

日系2世から選ばれた若き日本人選手により

結成された野球チームです。
 
keikaminishi2出典:http://www.discovernikkei.org/ja/journal/2010/6/8/kei-kaminishi/

今回の記事は筆者も感銘を受けた映画

『バンクーバーの朝日』を思い出しながら

朝日軍の最後の生き残りのケイ上西さんに

注目しました。

 

記事中では映画の内容や時代背景と

ケイ上西さんの経歴生い立ちまで

ご紹介しようと思います。

 

日系移民に勇気や誇りを与えた朝日軍

ケイ上西さんは1922年にバンクーバーで

生を授かりますが日本の教育を受けるため

11歳まで両親の故郷である広島県で生活。

 

父の死後、母と共にカナダに戻り

現地の日本語学校に通うことに。

 

ケイ上西さんが住む町は

食堂や旅館、銭湯などがある日本人街。

 

そんな上西少年の夢は、快進撃を続けていた

朝日軍に入団することだったという。

 

日系の新聞でも朝日軍の対戦成績が毎週に渡り

注目を集め、大日本東京野球倶楽部(現巨人)

との対戦も大きな話題に。

 

そんな憧れの朝日軍に入団することを胸に秘め

上西少年も野球に没頭。

 

青年リーグから日本人リーグを経験した後、

夢にまで見た朝日軍に入部が決まったのは

ケイ上西さん17歳のとき。

 

入部が決まったときは

「嬉しくて眠れませんでした」と話します。

 

1939年からの2年間、朝日軍の内野手として

活躍していたケイ上西さんにも

時代の波に翻弄される出来事が...

 

そう、1941年から始まった太平洋戦争です。


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無惨に引き裂かれた選手生命

開戦前の1941年まで、5年連続優勝を含む

パシフィック・ノースウエスト・リーグで

8回もの優勝を繰り返し頂点に達した朝日軍。

 

白人の選手には体格に劣る朝日軍でしたが

その対格差を補うために取った戦略が

スピードと小回りの効く頭脳野球。

 

連戦連敗と日系人の間で不満が渦巻く中

朝日軍はバント戦法や盗塁などで

白人チームを翻弄。

 

当初は負け続ける朝日軍を見るために

球場に足を運んでいた白人の観戦者や

不利な判定を繰り返す審判たち。

 

でも、朝日軍は我慢しながらも

フェアな野球に徹します。

 

そんなある時、誰がどう見てもアンフェアな

クロスプレーの判定に球場に集まった

白人達からブーイングが...

 

まさに朝日軍が白人社会から認められた

瞬間だったのです。

 
keikaminishi3出典:http://takoyaki7985.blog.fc2.com/blog-entry-1783.html

 
頑張っていれば誰かが見てくれる

誰かが助けてくれる...と。

 

その後は負け続けていた朝日軍は勝ち続け

多くの白人が朝日軍のファンに。

 

しかし、そんな夢の舞台も長くは続きません。

日本軍の真珠湾攻撃により勃発した

太平洋戦争により、カナダ政府は日系人の

排斥政策を開始することを決定。

 

カナダ各地の強制収容所に多くの日系人が

収容されることに。

 

もちろん、朝日軍のメンバーとその家族も。

 

バラバラに散っていったチームメイトが

再び朝日軍のユニフォームを着ることは

終戦後もなかったのです。

 

ケイ上西さんが収容された日系人収容施設は

水も電気もない劣悪な環境だったそうです。

 

冬には家の中にも氷が張る事から

“アイスハウス”との呼び名も。

 

やがてケイ上西さんは同じ日系2世である

フローレンス直子さんと結婚し、

一男一女を授かり、仕事はモーテルや

リカーショップを経営後リタイヤ。

keikaminishi5出典:http://www.discovernikkei.org/ja/journal/2010/6/8/kei-kaminishi/

 
スポーツ万能のケイ上西さんは

リタイヤ後、趣味で始めたバドミントンで

BC州大会80歳以上の部門のダブルスでは

銀メダルに輝いた経歴もあるようです。

 

本当に惜しい限りです。

戦争がなければどんな野球人生を

送っていたのか...と。


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映画化にもなった朝日軍

戦前、日系人の夢と誇りを背負いながら

白人野球と闘った朝日軍。

 

その朝日軍を題材にした映画

『バンクーバーの朝日』。

 

ご覧なった方も多いのでは?

筆者もレンタルですが見て感動しました。

 

 

出演は妻夫木聡、亀梨和也、上地雄輔、

勝地涼、高畑充希、佐藤浩市など、

蒼々たる顔ぶれ。

 

映画の初日で舞台挨拶を行った主役の

妻夫木聡が作品への思いを伝えようとするも

感極まり、言葉に詰まった姿に会場からも

すすり泣く声が。

 

映画では“武士道精神”を掲げ、正々堂々と

闘い続ける朝日軍の野球。

 

日系社会の誇りと夢を背負い、

絶対的優位に立つ白人チームに挑む姿に

感動せずにはいられません。

この映画は安倍首相もご覧になったとも。

 

イチローも!朝日軍が野球殿堂入り

多くの犠牲者を払い、また若者の夢が

無惨に引き裂かれた太平洋戦争。

 

強制収容所に入れられ、

止めざるを得なかった大好きだった野球。

 

時は流れ、戦後60余年の2003年6月に

朝日軍の生き残った4人のメンバーが

カナダ野球の殿堂入りを果たしました。

keikaminishi4出典:http://www.discovernikkei.org/ja/journal/2010/6/8/kei-kaminishi/

 
前年の2002年の5月にはカナダ

トロントのスカイドームでブルージェイズと

マリナーズとの試合の前の始球式に5人の

元朝日軍選手が招かれます。

 

多くの日本人や日系人が見守る中、そして

当時在籍していたマリナーズのイチロー

大魔神の愛称で呼ばれる佐々木主浩

セットアッパーの長谷川滋利が彼らを迎えた。

 

 

元朝日軍のメンバーはすでに80歳〜90歳。

しかし堂々と、一人づつ始球式に望み、

大歓声の中、無事に大役を果たします。

 

彼らがボールを投げ終わると

一斉に沸き上がる歓声。

 

球場はスタンディングオベーションに

包まれます。

 

球場に集まった観客は知っています。

伝説の日本人野球チームの選手だったことを。

 

2017年現在、朝日軍の選手の多くは他界。

“朝日軍最後の生き残り”と言われるのは

すでにケイ上西さんのみ。

 

朝日軍に憧れ、野球少年だったケイ上西さんも

すでに95歳に。

 

しかし、朝日軍の遺伝子を継ぐべく

“新・朝日軍”も結成されています。

keikaminishi7出典:http://www.ashikaga.life/2015/03/post-1513/

 

今後、多くの日本人や全ての野球ファンに

朝日軍の功績を語り継いで欲しいものです。

 

日本の朝日軍は“こんなに凄かった”と。


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