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近藤亨(とおる)がムスタン王国で起こした奇跡とは?経歴や功績が凄い!

 

1991年の6月18日、ひとりの男が家族に

見送られながらネパールのムスタンへ向け、

旅立っていきました。

 

旅立ちの当日はくしくも自身の

70歳の誕生日のことです。

 

 

その男の名前は近藤亨(とおる)氏。

果樹栽培専門家として国際協力事業団の

メンバーとなって十数年、ネパールで

現地指導していた第一人者。


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筆者も初めて知った近藤亨氏の名前。

どうやら自身の技術を伝え、飢える人々を

救うために向かった赴任先は...

想像を絶する世界だったようです。
 
koudotoru3出典:www.dailynewsagency.com/2012/06/07/mustang-nepals-former-kingdom-8q6/

 
今回は秘境中の秘境といわれるムスタンと

飢える現地の人々に農業を伝え、

ムスタンの“救世主”と呼ばれた近藤亨氏の

気になるアレやコレを調べてご紹介。

koudotoru2出典:www.mokeden.jp/itiji-3.htm
 
こんな日本人がいた事に驚きです!


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ムスタン王国ってどんなところ?

ムスタンはヒマラヤ山脈の北側に位置し、

標高3000m〜4500mの高冷地。

 

年間の降雨量もわずか100ミリから150ミリの

“超”がつくほどの乾燥地帯。

 

さらに毎秒10m〜20mの強風が昼から夕まで

吹き荒れる厳しい世界。

 

ここムスタンは世界でもまれに見るほどの

農業には不向きな土地だったそう。

 

まぁ、標高3000m以上の高冷地というだけで

そこがどんな世界なのか想像できます。

 

当然のようにムスタンの住民の食糧事情は

最悪の状態。

 

主食は裸麦、ライ麦、ソバのみ。

肉や米を口にできることは滅多にないと言う。

ましてや魚を見た事もない住人まで。

 

その栄養状態の偏りからムスタンに住む

住民の平均寿命はなんと、45歳の短命。

 

この窮状を救う為、アメリカの自然保護団体が

5年の歳月と巨費をかけて植林を試みます。

しかし、失敗して撤退を余儀なくされます。

 

ネパール政府も果樹栽培や畜産の普及などの

農業振興に乗り出しますが、やはり

あまりに厳しい環境下でここでも失敗に。

 

そこで登場したのが“仕事人”近藤亨氏。

まず、近藤亨氏が取り組んだのが高地での

稲作栽培プロジェクト。

 

近藤亨氏が挑んだのは標高2750mでの栽培。

日本でも限界とされる標高は1000mです。

それをいきなり3倍近い標高での栽培は、

成功すれば世界最高地での記録に。

 

どうやら近藤亨氏は標高2750mでの栽培に

勝算があったようです。

 

事前に北海道や青森の試験場で冷寒用の

種子を手に入れてからのチャレンジ。

 

が、しかし...

ムスタンの厳しい環境が巨大な壁となって

大きく立ち塞がります。

 

途中までは順調に発育しますが

最後は全て皮だけで“身の無い”モミだけで

終わってしまうのです。


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ついに実った黄金の稲穂

近藤亨氏は検証を繰り返し、得た結論は

出穂期に15度以下の気温下では

実のないモミだけになることを専門家の

アドバイスによって改良。

 

まず、寒冷対策として田んぼの上すべてに

ビニールシートをかぶせての保温する事に

チャレンジ。

 

当然、毎秒10m〜20mの強風対策のための

準備も万全に尽くします。

 

高冷地でも日中の日差しは強く、シートの下は

常時、20度の温度を保つ工夫を。

 

その努力が実り、どの稲も見事なほどの

稲穂が立ち並ぶように。

 

まさに“黄金の稲穂”誕生の瞬間。

その夜は興奮と感激に胸が震え、

いつまでも寝れなかったと記述しています。

 

そして近藤亨氏は標高3600mの場所でも

ビニールシートの代わりに手に入れた

ポリエステルパネルを使用する事で成功。
 
koudotoru6出典:www.noguchi-ken.com/M/2012/05/post-407.html
 
もう、富士山山頂で米作りをするようなもの。

それも現在では寒冷用の品種でなく、

日本を始め、世界中で大人気のコシヒカリ。

 

正確な収穫量を調査したところ、

なんと!

ネパールの平野部の1.5倍の収穫量!

 

稲の収穫後はさらにトマトや茄子、南瓜、

メロンを作り、年中新鮮な野菜や果物を

住民とともに食べることができるように。

 

稲作や果物、野菜づくりと共に進めたのが

魚の養殖への挑戦。
 
koudotoru5出典:www.noguchi-ken.com/M/2012/05/post-407.html
 
ヒマラヤの雪解け水で養殖される魚は

安全安心で刺身でも食せるほど。

 

この養殖魚を試しに売り出したところ

即日完売の人気ぶり。

それもそのはず、この人気はなるほど...と。

 

ネパールでは牛や豚、鶏などの肉は

宗教上受け入れられておらず、

魚は願ってもない貴重なタンパク質。

 

その貴重なタンパク源が多くの住民に

受け入れられたのです。

 

さらに近藤亨氏は果樹栽培専門家としての

本領を発揮。

 

ネパール政府がさじを投げた果樹栽培に

果敢に挑戦するのです。
 
koudotoru7出典:www.noguchi-ken.com/M/2012/05/post-407.html
 
数年の時を経て、見事なリンゴが収穫。

今ではネパールの高級スーパーにも並び、

“ムスタンのリンゴ”としてブランド化も。

 

また、農業支援だけでなく、学校の建設や

病院の建設など、ムスタンの人々のために

献身的な活動を続けていました。

 

この功績が認められ、2013年には

ネパール民主政府から最高栄誉とも言える

「スプラバル・ジャナセワスリー1等勲章」を

外国人初の受賞の栄誉に。


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あの登山家も近藤亨氏の元に表敬訪問

2012年5月、あの有名な日本人登山家の

野口健さんが近藤亨氏の元を表敬訪問。
 
koudotoru8出典:www.noguchi-ken.com/M/2012/05/post-407.html
 
その野口健さんに近藤亨氏は語りかけます。

「野口さん、私がここにやってきた当時は
村人の多くが出稼ぎでね、
町に降りてしまっていなかったんですよ。

貧しくてね。でもね、農業をちゃんと
やっていれば人々の生活はそんなに
貧しくはならないのです。

生活できるんですよ。だから、
ここで農業をやってやろうとね。
農業は面白いんですよ。

今ではリンゴから何までここで
作れるようになったんです。

それでね、今では出稼ぎに行く人も
減ったんですよ。

牛もね、カトマンズからホルスタインを
連れてきてね、現地の牛と交尾させて
この高所にも適応できる乳牛を作ったんだ。

だからここでは牛乳も飲める。
その牛の糞を肥やしにして農業もできる。
養鶏所も同じことでね。

ですから農業は家畜とセットなのです」

 

※野口健さんのブログより抜粋

 

う〜ん、凄い!

人生の大半を未開の地での開拓に捧げ、

現地の人々のために命がけで尽くす...

 

なかなか出来るものではありません。

こんな情熱溢れる近藤亨氏だからこそ

野口健さんの魂を揺さぶったのでしょう。

 

 

ムスタンはおろか、ネパール国内では

近藤亨氏を知らない人は老若男女を含めて

いないと言う。

 

“近藤パジェ(おじいさん)”と声をかけられ、

人々から愛されるひとりの日本人。

 

 

その近藤亨氏は昨年の6月6日にご逝去

享年94歳でした。

法要は村人だけでなく、12人の僧侶も集まり、

盛大に執り行われたそうです。

 

近藤亨氏の亡き後もムスタンに、ネパールに

残した功績と実績、そして後を継ぐ若者に

しっかりとバトンが繋がれていくものと。

 

こんな日本人がいた事が誇りでもあり、

語り継がれて行く人物なのでは...と。

 

是非とも小中学校の教科書に

“伝記”として載せて欲しいものです。

 

後、もう一人紹介したい人物がいます。

その人物とは“ゼロファイター井本勝幸”氏。

 

彼もまた裸一貫で未開の地を切り開いた

日本人として誇れる人物のひとりです。

是非とも、お読み頂ければ幸いです。m(_ _)m


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