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光クラブ事件首謀者の山崎晃嗣は東大生!詐欺事件の詳細と経歴も!

光クラブ事件の主犯とされるエリート大学生

山崎晃嗣は何故?自ら命を絶ったのか...

 

何故?日本の最高学府の頂点に立つ東大の

それも優秀な学生でありながら“闇金”の会社を

設立し、その闇に手を染めたのか?


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今回の記事は“東大の天才”とまで言われた

山崎晃嗣が起こした戦後最大級の詐欺事件

彼の数奇な人生を調べてみました。

 

光クラブ事件とは?

1949年11月24日、山崎晃嗣が社長を務める

光クラブの社長室で青酸カリを飲み、自らの

命を絶ちます。

 

現役東大生が社長を務める金融会社という

触れ込みと、新聞広告などによる“大々的”な

キャンペーンが功を奏し、顧客を月1割3分の

高配当で集め、利息は2割から3割という

高利で貸し出していたのです。

 
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わずか半年足らずで山崎晃嗣が率いる

光クラブは銀座に事務所を構え、

当時としては破格ともいえる資本金600万円、

株主400名、従業員数30と急成長。

 

まさにこの世の春を謳歌していた山崎晃嗣。

 

しかし、そんな“夢”のような時間は

あえなく終焉を迎える事に。

 

物価統制法違反の罪で逮捕されたのです。

 

当然の如く会社の信用は失墜し、業績は悪化。

そして債権者からは一斉に返済を迫られるが、

返済の見込みがなく、万策尽きた山崎晃嗣は

社長室で自らの命を青酸カリによって...。

 
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この事件は当時、“アプレーゲル事件”とも

呼ばれていました。

 

アプレーゲルとは...?

筆者も初めて聞く言葉でその意味を調べると

 

「戦後世代」を意味するようです。

戦後の混乱期の中、それまでの“価値観”が

崩壊し、“刹那的”な充足感を求めるあまり、

若者の犯罪が相次いでいた時代。

 

その多くの若者はまだ世間知らずの幼稚で

短絡的な動機による犯行だった...と。

 

このような犯罪行為が

“アプレ犯罪”と呼ばれたそうです。

 

そのアプレ犯罪の主な事件として

・鉱工品貿易公団横領事件

・金閣寺放火事件

・日大ギャング事件

・メッカ殺人事件

など等...

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山崎晃嗣の生い立ちと経歴

光クラブの若き東大生社長、山崎晃嗣は

1923年、千葉県木更津市に生まれます。

 

父親は木更津市町も務めた医師であり、

母親は音楽家という、恵まれた環境のもと

5人兄弟の末っ子として育つことに。

 

また、上の3人の兄も父親の跡を継ぎ

医者となっています。

 

山崎晃嗣は医者の道を選ばず、法律家を

目指すため、1日15時間以上の猛勉強の末、

見事、東大法学部に合格。

 

しかし、戦時中のために学徒出陣により

軍隊に入隊することに。

配属先は北海道旭川の北部第一七八部隊。

 

このとき陸軍主計少尉の身分として

赴任していたのですが、配属先の隊長達が

軍務の傍ら米や油などの軍事物資を

横流しする姿を目の当たりに。

 

山崎晃嗣もそれにならい、その地位を利用し

自らも物資の横流しを行なうが結局、上官の

尻拭いと共に検挙されます。

 

この一件は山崎晃嗣の今後の人生に大きな

影響を与える事になったようです。

 

彼の手記にはこのようなことが...

「人間の性は本来、傲慢で卑劣、

邪悪と矛盾である」と...。

 

東大に復学した山崎晃嗣は今迄だれも

なし得なかった“全優”を自ら課し、1日の

ほとんどの時間を勉強にあてます。

 

結果、20科目中3科目だけが“良”となるが、

教授の気まぐれに依存する評価に

馬鹿らしくなったと、

後日の手記に書かれています。


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光クラブの設立と終焉そして...

1948年、山崎晃嗣は金融に精通している

日本医科大学生であった三木仙也と共に

東京中野の鍋屋横町に貸金業を始める。

社長は山崎晃嗣、専務に三木仙也。

 

これが“光クラブ”の誕生でした。

山崎晃嗣は社内に“ヒカリ戦陣訓”を掲げ、

自身と社員に鼓舞するという徹底ぶり。

 

その“ヒカリ戦陣訓”の内容は

一、権利のための闘争だ

二、人生はすべてこれ劇場なり

三、金利の鬼となれ

四、バクチには生命をかけよ

五、人のものは我が物、自分のものは

自分の物と思え

 

結局、法律違反により逮捕され

債権者に返済する資金のメドが立たず、

自ら命を絶つ事を選択した山崎晃嗣。

 

その時、彼の手元に会った通帳の残高

わずか2700円。

 

彼の死後、このような遺書が見つかります。

「私の合理主義からは、契約は完全履行を

強制されていると解すべきだ。

契約は人間と人間との間を拘束するもので、

死人という物体には適用されぬ。

私は物体にかえることによって理論的統一を

まっとうする」

 

時は流れ、2007年夏に故山崎晃嗣の日記が

見つかります。

 

それは山崎晃嗣が

光クラブを設立する前の日記です。

時期的には物資の横領により有罪判決を受け、

自宅に戻ってからの日記でした。

そこには...

 

「楽しいから生きている。

楽しみがなくなり苦しみが生じたら

死ぬばかりである。命などというものは

要するにつまらないものである」

 

 

筆者はこの事件を知り、手記を読み、

改めて“生きる”ということを

考えさせられました。

 

何故、生きる努力をしなかったのか?

何故、命がつまらないのか?

何故、医者の道を選ばなかったのか?

何故、闇金融の道に?

何故、26歳の若さで?

 

彼を“美化”するつもりはありませんが、

この山崎晃嗣は生きていれば

日本に影響を与える人物に

なっていたかも知れません。

 

もしかすれば猛勉強の過程で

ある種の“思想”に染まってしまったのか?

 

この事件を元に過去、

高木彬光「白昼の死角」

三島由紀夫「青の時代」

北原武夫「悪の華」

 

これら小説の題材となるほど、

社会に与えた影響は大きく、

『爆報!THEフライデー』でも

この事件を取り上げるようです。

 

最後に、どんな理由があろうとも

26歳の若さで自ら命を絶つ理由など

どこにも有りません!

 

天国から地獄へ真っ逆さまに転げ落ちた

ツカサの川又三智彦氏を見習え!

 

そう言わずにはおれません。

もし、タイムマシンがあれば

川又三智彦氏に合わせてあげたい...と。


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